「ノエマ・ノエシス」Ⅱ

今日はクリスマス・イヴ。
仕事の帰りに買い物で街を歩いていたら、
やっぱり幸せそうな二人づれが多かったですね。
待ち合わせらしい女の子や、手をつないで横断歩道を渡る二人とか。
いいクリスマス・イヴでありますようにと、なんとなく見守る
気持ちになりました。


今夜の我が家のメニューは、娘のリクエストにより、
鍋焼きうどんとなりました。
ケーキだけは、この街で一番と言うお店のものを予約して
しっかり、美味しくいただきました。
でも、ワインもチキンもありません。
チキンがないのは理由があります。
家では、鳥好きな娘がセキセイインコ三羽とオカメインコ一羽を
飼っているので、鶏肉に抵抗があると言うわけです。
お鍋とかには使いますが、かたちがはっきりあるものは却下です。
から揚げも焼き鳥もご法度なんです。
不自由なことです(笑)



昨日の「ノエマノエシス」の続きを書きます。
ノエマノエシス」には「雫座」と言って、
発行人兼編集人の高鶴礼子さんの選の頁があります。
その頁に取り上げられた方の作品のうちから、
一句を選んで、高鶴礼子さんが評を書いている
「雫座選評」がとてもいいのです。
ていねいでこまやかで適切な評に、書かれたひとは
嬉しいだろうな、励みになるだろうなと、
いつもワクワクしながら読ませていただいています。
ひとつだけ、紹介させてください。


始まりは静かに抜けた蝉の殻   山口糸子

「評」 静謐の中に始まろうとしている何か。作者はそれを
詩情豊かに謳い上げている。「蝉の殻」を持ってきたことによって
説得力が増した。「抜ける」と言う縁語仕立ても適切である。
スキのない措辞の選択に加え、構成の立て方も申し分ない。
佳句である。


ノエマノエシス」の目次のところに
「一句無縁/一句無援」と言う言葉があります。
それについて、礼子さんは今回このように述べていらっしゃいます。
(略)句を書く時は誰も援けてはくれません。身を削り、格闘し、
けれども、たとえその人にどれほどのバックグラウンドや経歴、
作句の苦心があったとしても、そんなことは何の関係もありません。
出来上がった一句がすべてです。
「一句無援」―― 誰も援けてくれない中での真摯な格闘。
「一句無縁」―― 一句がすべて=事大主義の拒否を含む。
川柳のために人間があるのではありません。
人間のために川柳が、文学があるのだと私は考えます。(略)

少しだけの抜粋で申し訳ありませんが、
本当に、深く深く頷きました。
礼子さん、ありがとうございました。


子供には十色の虹の話する   玉

粉雪小雪サンタクロース待つ眠り   かなえ