「四季の菓子」

さて、なんとか、予定のお掃除をクリアできそうです。
明日は台所の仕上げと私のパソコン周りを片付けて、
あとはもう、折り合いをつけます(笑)
今日も掃除のあと、スカートの直しを取りに行ったり、
カレンダーを買ってきたりと、パタパタしました。
カレンダー、職場でも貰うのですが、私の部屋用に
好きなものを買うことにしています。
ずっと花やバラのカレンダーでしたが、今年はなかなか
気に入ったのがなくて、とうとう今日まで買えませんでした。
でも、そのお蔭で片岡鶴太郎のカレンダーに巡り合いました。
文房具屋さんの壁の隅っこの方にとても地味にかかっていたので、
ちょっと見、誰の何かわからない感じでしたが、ひょいとめくったら、
片岡鶴太郎の絵のカレンダーだったのです。
一月は寅ですが、あとは椿やお雛様、さくらんぼなどいった風に、
それぞれの月ごとにふさわしい絵になっています。
鶴太郎の絵は、線に迷いがない感じと色彩が華やかで深いところが
好きです。そんなに作品を知っているわけではないので、
偉そうに言えないのですが、好きだなぁと思う絵を見ていると、
童謡やわらべ唄が聞こえて来そうな気がするのです。
今回のカレンダーもそんな絵ばかりで、楽しみがひとつできました。
(わっ、年賀状のこと、すっかり忘れていました。
全然書いていません。明日紅白観ながら書きます。)


岡部伊都子(1923−2008)と言う随筆家が好きです。
昭和50年に発行された「四季の菓子」には、お菓子だけでなく、
こだわりの身の回りのものや、京都の暮らしのことが、
とても細やかに丁寧に書かれてあって、ときどき
読み返しています。
お菓子は「干し柿」に始まって、「たいこ焼き」に終わっています。
「たいこ焼き」の書き出し、
『年の暮もおしつまった。つつましい重箱の用意に、混雑する市場へでかける。』に
多分、今日みたいな日だろうなと感情移入します。
そして、両手いっぱいの荷物があるのにも関わらず、軒店のたいこ焼きを買って
家につくと、まず焼きたてのたいこ焼きにかぶりついてひと息つく、と言う風な
描写に、私もたいこ焼き食べたくなります(笑)
でも文章の最後の方は、
『庶民の飢えと悲しみにいちばん親しいのは、たいこ焼きではないか。
ひとかたけの食を節して、たいこ焼きをかじったことのある身だ、
うらぶれた不況の新年を迎えようとする冬ざれの町に、
軒店のたいこ焼きを素通りすることはできない。』
となっていて、心が引き締まるのです。
昭和49年から50年にかけてのことです。
ふと、どんな時代か調べてみたら、
三木内閣発足、森進一の「襟裳岬」が発売され、旧日本兵
小野田寛郎さん救出、映画では「砂の器」や「竜馬暗殺
赤ちょうちん」なんかがあったみたいです。
来年は、どんな年なんだろう。
せめて、災害のない年であってほしいものです。


夕焼けに向かうと椅子の位置動く   玉

人間不信ぴくりとなまず動き出す   かなえ