1月17日

昨日も今日も日中は、とりあえず氷点下には
ならずに済んでいます。
雪は相変わらずありますが、それでも少しずつ、
溶けてきてはいます。
今日の仕事帰り、久し振りに買い物のため
デパートに寄って、歩いて帰ってきました。
この間までお正月だったのに、
今日の街は、バレンタインや節分の装いです。
あれよあれよと言う間に季節は巡ります。


さて、新聞の川柳の原稿、本日郵送できました。
最後の選です。
最後と言うせいなのかもしれませんが、
今回は、手古摺りました。
まず、句がとてもいい句ばかりでした。
いい句には選評なんて邪魔になるのではないかしら。
下手にあれこれ書こうとするから、
ごちゃごちゃになってしまいました。
玉さんにも、何度か泣きついたりもしました。
そのたびに、励まされたりけとばされたりでした(笑)。
でも、おかげでなんとか形にできました。
ありがとうです。
で、次の川柳の原稿が待っています。
そちらは同時進行で、ようやく道が見えてきました。
今夜もこのあと、頑張ります。


1月17日は、阪神淡路大震災のあった日です。
本当は、この間書こうと思っていたのですが、
さすがに疲れていて、向きあうのには体力がありませんでした。
阪神淡路大震災の前の月の12月に、
この街も三陸はるか沖地震に見舞われました。
12月28日でした。
その日は、ちょうど仕事納めの日。
12月の終りにしては妙に暖かくて、帰り道の
道端の草の緑が、まるで春のようだったと記憶しています。
三陸はるか沖地震では、この街も結構大きな被害が出ました。
わが家も水道が止まり、一晩ですが停電もしました。
断水はしばらく続いて、わたしも近所の井戸のある家に、
水をもらいに何度も行ったものです。
水のない、電気の点らない不自由な生活は、
いくらかは解るのですが、
あの大震災のことを思うと問題になりません。
川柳集「悲苦を超えて」阪神大震災 と言う一冊の小冊子を
今、読んであらためてそう思いました。
その中の永井乃里文さんの句を少し紹介させてください。


長田小学校にて   永井乃里文(神戸市長田区)


震度7古家みじめさひしと知る

真っ暗な瓦礫の山に埋もれてた

顔に覆いかぶさる人形と僕 震えてた

明け方に隣人の声やっと救(たす)かる

ふり向くとあとかたもない むごさ


このあとに避難所の様子の句が続きます。


そして、最後に置かれた句です。


手違いでうどんが二つ来る笑い



地震は、どこにいても誰であろうと襲ってきます。
防ぐ術がないのなら、せめて被害にあったときに、
すぐさま立ち上がることのできる力だけは持っていたいと、
この句集を読むたびに思うのです。


僕の背にクラッチがありだれか踏む   玉

クラッチがすりへるまでに出す答え   かなえ