もう、6月も終わりです。
すっかり更新が滞っていて申し訳ございませんでした。
ようやくカモミール4号の編集も最終段階になり、
来月、無事に発行できそうです。
今回は「カモミール句会設立五周年記念誌上句会」の結果発表号ですので、
皆様もお待ちかねのことと思われます。
申し訳ございませんが、結果の発表までもう少しお待ちくださいね。
で、カモミール4号の内容ですが、
会員作品、そして「一句評」は小池正博さん、佐々木絵理子さん(八戸在住、短歌の人)。
「一句ノススメ」は、菊池京さん、三上博史さん、笠嶋恵美子さん、浪越靖政さんという錚々たるメンバーです。
会員による吟行エッセイは「アップルヒル」と「寺山修司記念館」と「はっち」。
そして、今回は「ようこそカモミールへ」というページも設けました。
句会などにいらしてくださった方々の作品もご紹介させていただいております。
最初の画像は、「マチニワ」の企画、「アンブレラスカイ」です。
「マチニワ」の天井高くに、七色の透明なビニール傘を吊り下げています。
まるで空を流れるような傘の群れに、ひととき、うっとうしい曇り空を忘れました。
この傘、120本もあるんだって。
ほんと、傘の花だね。
さて、新型コロナウイルスの感染拡大防止ということで、
カモミールも5月も6月も句会が出来ませんでした。
5月のネット句会はひとりで桜を見ての
「ぼっち桜」でした。
合評会のやりとりを少し載せますね。
(何気に自分の作品にもコメントを入れたりしています)
第57回カモミール川柳ネット句会「ぼっち桜」
桜の絨毯 待っているよ 待っているよ/潤子 (静)
(静)今年は新型コロナウイルスの所為で、
日本全国、観桜会はなかった。
どこの桜も、さびしかったのだろう。
待っている、よの擬人法がよく利いている。
この句、破調だけど気にならない。
(かなえ)桜の絨毯、花筏など、桜が散るときに
花びらが敷き詰められている様子が
「待っているよ」の繰り返しによって
映像化されている。
桜も人間も頑張って「待っているよ」「待っていてね」。
(啓子)⑤を採るか⑮を採るか迷った。
蕾からずっと待っていたがとうとう来てもらえず
花吹雪そして花筏、地面にも絨毯のように
敷き詰められた花びら。
絵を見せてくれた。桜を通して人間の気持ちも伝わる。
絶望ではなく来年への希望。佳句。
散り際は誰にも見せぬひとりです/啓子(静、さち、かなえ)
(静)花も、女も往生際は見せたくない、
という桜の最後は、花吹雪となって地上を彩る。
花の最後は美しいけれど、人間の場合は、
老いさらばえて、美しい、とは言えない。
美しいうちに失くなった方がいいのかも……。
人間の孤独を感じる一句。
(さち)見舞った人が病みつかれているのを見るのは辛い。
元気な想い出だけでいい。
私も知らないうちにひとりで逝きたい。
理想としては、お酒に酔って凍死があこがれです。
(かなえ)「ひとり」で散る覚悟は壮絶。
死は誰にでも平等です。
ただ、その時は誰にも分かりません。
新型コロナウイルスで亡くなった方々は、
家族の誰にも会えずにその最後を迎えられたそうです。
何人の人が「私はひとりで死にます」と言い切れるでしょうか。
この時期だから余計に色々と考えさせられました。
(啓子)この死に方はかっこよすぎ~
「誰にも」をどう読むかがポイントだと思う。
やはり最愛の人にだけはそばにいてほしいかも~
枯れるとこ腐るところもちゃんと見て デス。
いや~腐っても好きでいてほしい。デス~
(さち)「腐っても」は強烈!お星さまになってとは言わないけど…
釣り人へぼっち桜が流れ着く/静(潤子、かなえ、啓子)
(潤子)3番の句と情緒的に被るが捨てられない。
どちらも優しく切なく胸に迫る。
(かなえ)「釣り人」に妙味がありました。
釣りは大体一人でするもの。
そこへ桜の花びらが流れ着く…。
一人がいっそう際立っているよね。
(啓子)孤独なもの同士が近寄ることがあっても
寄り添うまではしないだろう、きっと。
「流れ着く」ものに「ぼっち桜」は詩的だ。
(さち)「ぼっち桜」が一本の桜の樹という感覚だったので、
「桜ひとひら」くらいならよかったかなあ、と。
ぶち猫が桜の墓地を抜けていった/さち(潤子、かなえ、啓子)
(潤子)無愛想な野良猫が、ぼっちで咲いている桜をちらりと見上げ、
「今年は同士だな…」と眼で交わす。
目の付け所にグッときました。
(かなえ)ネコはテリトリー意識の大変強い動物。
同じ時間に同じ場所を散歩します。
今日は桜が咲いている墓地だけど、
冬には雪に埋もれた場所かもしれないし。
桜と墓地と猫、アラーキーの写真集に
ありそうなショット。
(啓子)だからなんなの?的川柳だけで終わらせたくない佳句。
お花見にも墓参にも関係なく(多分)
通り抜けに使っただけのぶち猫の
図々しさが滑稽でかつ悲しい。
桜を見たりお墓参りをするのは人間の自己満足とエゴ・・・
そうわかっても桜をみたいしお墓参りもする。
桜の墓地は永久に神聖な場所です。
御衣黄の下まぼろしの曲がり角/かなえ (さち、潤子、啓子)
(さち)御衣黄の桜とは思えない花色の下に
曲がり角があったのかも。
取り返しが付かない遠い日の、もう後悔とは違うぼんやりと
浅黄色の満開が見えてくるようで秀逸な句。
(潤子)御衣黄はまぼろしを見させてくれるかも…
あの角を曲がればきっときっと
小説が書けそうな一句。
(啓子)「御衣黄」という言葉にも惹かれた。
緑からピンクに変る希少な桜の下に
人生の転機のような曲がり角があったという。
果たして作者は曲がったのだろうか。
(さち)悩んで悩んで曲がりきれなかったのでないかと
少し淋しい気持ちになった。
では、今日のネコたち。
ありす。
おじちゃんたちのお気に入りの場所で得意満面!
仔猫はすばしこいと聞いていたけど、本当にモーレツダッシュで、
あれよあれよ走り回っています。
いやー、早く落ち着いてくれないかな。
まさに「三密」(笑)
奥からな~こ、手前がぱんだ、そのとなりがさばみ。
な~この粗相というか、マーキングはまだ治っていません。
ありすへの焼きもち、どうすれば落ち着くんだろう。
病院からは「不安を抑える薬」というのが出ました。
そうそう、ぱんだは偉いんですよ。
ある日私が「ぱんだくん、な~こがトイレ以外でおしっこしそうになったら
止めさせてくれないかな」と何気なく言ったら、
時々な~この後を追いかけて、おしっこしそうなときに
止めさせるんです。これ、本当の話です。
さばみ、やっとこのふたりのそばでも寝られるようになりました。
でも、夜中にまた場所を変えるんだけどね。
じろの「早くなでれ」のポーズ。
横目でちらっと見てるが可愛い。
7キロ越えのじろ、ありすよりも甘えん坊です。
じろ、5月に血尿が出たりして慌てました。
膀胱炎で何度もトイレに行ってを繰り返していました。
本当に不憫でしたが、今は元気です。
我が家の伝説のしろねこ、ななの命日は6月27日でした。
ななのお骨はずっとサイドボードの上に置いていました。
雪や雨で辛い思いをするんじゃないかと思って…。
でも今年、七回忌を機会に自然に還すことにしました。
場所はななが好きだった通り道のひとつのところです。
雨が降ったら、当分は傘をさしかけてあげます。
今日の美味しいもの。
三春屋のお弁当市で。
野辺地のお店なんだって。
こういうランチもたまにはいいよね。
テイクアウトのお店が多くなって、
普段食べられないお店のものが食べられるのは嬉しいです。
右横のグリーンのパウチは市内のお店のグリーンカレー。
実はまだ食べてないんです。
あまり辛くないとのことですが。