「杜人」 2010 夏号



昨日も、そして今日も、暑い一日でした。
でも、ベランダや窓を開けっ放しにしていれば、
なんとか冷房を入れずにすみます。
昨日は、職場のお祝いの会があって、午後から
市内のホテルまで。260名ほどの人数で、
和気藹々とした三時間でした。
普段なら、お祝いや賑やかなこと大好き人間の私ですが、
今回ばかりは、どうもいまひとつ、心が乗りませんでした。
先週の火曜日に、顔を見知っている若い人の訃報を聞きました。

亡くなった日の前日に、会話を交わしたばかりの若い人の
笑顔と笑い声が、時折、甦ります。
人の世の常とは言え、どうにもやりきれないでいます。
日にち薬という薬の効くまでを、待つしかないのでしょう。


「杜人」 2010 夏 通巻226号が届きました。
今回は、「ノエマノエシス」主宰の高鶴礼子さんが作家論を
書かれています。

『垂足の龍』―川柳人・中山秋夫さんの生涯

中山秋夫さんは、1920年に生まれ、2007年にその生涯を
閉じておられます。ハンセン病を患っていらしたそうです。
その闘病中に、句集と詩集とエッセイ集を上梓されています。
句集「父子独楽」(1989年)「一代樹の四季」(1998年)
エッセイ集「鎮魂の花火」1999年、詩集「囲みの歳月」。

礼子さんは、中山秋夫さんのことを丹念にお調べになり、
まさに、たましいの言葉でその作家論を書かれていらっしゃいます。
その内容にぐいぐいと惹きつけられ、一気に読んでしまいました。
私の拙い文書力では、おいそれとその内容を記すことはできません。
せめて、礼子さんが句集から引かれた句の一部を、
ここに紹介させていただくことで、私の無力さを
お許しいただければと思います。


爆笑の真只中へ樹を倒す

竹とんぼ社会と呼んで向こう岸

明日があるつもりへ鮭を食べのこす

句読点からす一羽が眼に静止

受けるだけただそれだけの手の疲れ

五時の鐘夜の長さを渡される

じんと秋つんと煙突死を燃やす

風景の貯金小出しにして憩う

生きるとは死ぬとは今へ今を足す

足と手を目までも借りて命とは


中山秋夫さんは、1963年に失明、四肢の麻痺、そして、
全身がご不自由になられたそうです。
ハンセン病のことも、患者さんのことも、過去のいきさつも
ほとんど何も知らずにきた私は、今、とても恥じ入っています。
でも、こうして、知ることができた事に深く感謝しています。

中山秋夫さん、高鶴礼子さん、本当にありがとうございました。


画像は、今日の歩行者天国の様子です。
暑かったけれど、薄曇りが幸いしました。
人出も結構あったように思います。
娘とふたり、のんびりまったり出かけてきました。
下の画像は、本日の収穫。
パンの詰め合わせは、これで100円。煮玉子、ゲソ(烏賊の足)の
から揚げ、ソーセージ、フライドポテト、ウニの炊き込みご飯です。
はい、みんな、とっても美味しくいただきました。(笑)



アーケード抜けて他人となる男   玉

ゆきずりの恋など拾うアーケード   かなえ