東日本大震災


今日は、午前中は日がさして幾分暖かかったのですが、
日が陰ると、てきめん寒さがしのびよってきました。
職場の暖房も、省エネのため入ったのは朝の三時間ほどで、
いつのまにか切れていて、事務室の蛍光灯も外が暗くなるまで消して
おきました。

東日本大震災」。日を追うごとにその被害の甚大さが
深刻さを増してきます。
三月十一日午後二時四十六分、私は二階の一室にいて、
洗い物をしていました。
カラスがやけに変な鳴き声で鳴いているなと思いながら、
洗い物を続けていると、大きな横揺れがぐらぐらときて、
それがだんだん大きくなって、「危ない!」と、
階段を駆け降り、外に飛び出しました。
外に出て、揺れの治まるのを待っていてもますます
強くなるばかりです。
電燈のポールが大きく揺れ、樹が揺れ、建物が揺れ、
まるで空がひび割れるような揺れでした。
五分以上も揺れていたのを、確かに覚えています。
「もう駄目か、いや、大丈夫!」と心で念じながら
その揺れを治まるのをただひたすら待ちました。
そうして、やっと治まった地震でしたが、
そのあとも何度も余震が続きます。
停電になり、職場の人たちと屋外のひとところに集まっていると、
上司からの連絡があって、4時15分をめどに帰っていいことに
なりました。
持ち場の電源のコンセントをみんな抜いて、ずれた椅子や机、
書棚、使いかけの湯飲みもそのままにして、幸い同じ方向に帰る
人の車に同乗させてもらって、いつもの道よりうんと
遠回りして帰ってきました。いつもの道とちがうのは、
その道は大きな橋を渡らなければならなくて、その橋は、
もしかしたら、交通規制がかかるところだったからです。
この街は、海の街ですから、地震があったら津波
真っ先に考えます。私の住んでいるところは、
海からは遠いので、それは大丈夫なのですが、
いろんなことを想定して行動をとらなければ、
いけないのです。車中でも、余震があるたびに車が揺れます。
信号機は停電のため消えています。それでも、車はみんな秩序を
守って走行していました。
バスものろのろと走っていました。
そんな風にして自宅に無事帰ることができましたが、
家の中は二階部分がめちゃくちゃになっていました。
それでも娘も無事に帰っていましたし、家には特に目立った損傷もありません。
水道も出ていました。ガスはプロパンガスなので使えました。
でも、停電のため、ろうそくと懐中電灯と反射式のストーブで、
余震におびえながら、ラジオのニュースに耳を澄ましながら、
眠ることもできなく過ごしました。
耳から入ってくる情報だけでしたが、それでも惨状は伝わってきます。
それがあれほどひどいものだと知ったのは、30時間の停電から
復旧してからでした。
津波の被害のことは、本当に言葉になりません。
原発の事故のことも、呆然としてしまいました。
ずっとニュースから目を離せないでいます。
こうして、ブログを書けるまでになった現在、
ただただ悲しい気持ちでいっぱいなのです。
今回の地震では、大勢の方からお見舞いの言葉をいただきました。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました。
この感謝の気持ちを忘れずに、うけた御恩を忘れずに、
今回の地震の被災者の方々に、私にできる何かを考えています。

ひどくまとまりのない文章になってしまいましたが、
現在の心境と状況をお知らせしたようと思い、
今夜は書かせていただきました。

画像の最初は、今日の帰りの「はっち」の周辺です。
商店は休業も結構多かったです。
いつも行くデパートは、二件とも6時で終了でした。
街全体が暗いのです。

中心街のこんな場所もありました。

バスは、しばらく土曜日ダイヤ、あるいは祝休日ダイヤでの
運行です。それでも走っています。

こちらは、職場の壁のひび割れです。
こういうのがあちこちにあって、天井が落ちている場所も
あります。


この街の被害もすごいものがありました。
まだ停電の場所もあります。
でも、知り合いの無事は確認できました。
一日一日、祈りながら過ごしています。