四月です


今日は、外の方が暖かく過ごしやすい天候でした。
仕事の帰りにバスを降りると、夕方の風がふんわりやわらかくて、
そぞろ歩きでもしたい感じでした。
いつもの金曜日なら、本売り場に寄って文庫本あさりを
するのですが、街はほとんど6時で閉店です。
それでもせめて歩けるだけ歩いて、少しだけ
春気分を味わったりしました。
そして、お約束の玉さんの表紙絵。
モデルは故和田勉さんでしょうか。
よく特徴を捉えているもんだと思います。
顔の輪郭もパーツも大胆で細やか。
顔の周りの妖気?(笑)が効果的で、
見ているとこっちまで楽しくなってきます。
最初見たとき、玉さんは、こんなのも描くんだって思っちゃいました。

この街も、ガソリン不足が解消され、バスも今日から
平常運行。画像はこの間、バスの乗り換えで営業所で見かけた
タンクローリー車。すんごく大きくてとても頼もしかったです。
職場は相変わらずの節電と省エネ。
でも、これも被災者支援だと思えばなんということは
ありません。
岩手県では、個人からの援助物資の受け付けを始めたと言うし、
この街でも有志の方が、日用品や衣類などの支援物資募集を
始めました。自分にできることがやっと見えてきました。
朝世さんの「あざみエージェント」でも義援金の募集をしています。
   ↓ 

http://garasuwohakobu.blog77.fc2.com/

バックストロークでも行っています。
   ↓
http://moon.ap.teacup.com/applet/senruu/archive?b=10


私の恩人が、またひとり旅立ちました。
昨日がお葬式でした。影の濃い艶やかな女性でした。
うんとうんと若い頃、川柳の「せ」の字も知らなかった頃、
ちょっとしたきっかけで知り合ったモダンダンスの先生です。
私がモダンダンスをやっていたとかではなく、
知り合いの知り合いという感じで知って、お話させていただいたり、
美味しいものを食べに連れていってもらったり、時には、
そこのダンススタジオの発表会のお手伝いをさせていただいたりも
しました。もう、沢山のことをその方から教わりました。
ある意味、今、こうして川柳という表現をしているのも、
その方の生涯を貫きとおした「ダンス」に対する姿勢を
見てきたからかもしれません。
どこまでも自分に厳しく、常に新しい表現を求めて、
創作活動に呻吟し、会心の舞台ができたときははにかむような
笑顔になったりを身近で見て、表現とか創作に対する憧れの
ようなものを抱いたのかもしれません。
いつだったでしょうか、居酒屋に連れていってもらった時、
その方が店にいたお客さんにひどくねちこくいやらしくからまれ
ことがありました。顔近くまで顔をくっつけるようにした時に、
そばにいたぺえぺえの私は、とても怖かったのですが、
その方は、平然と煙草をふかしお酒を飲み続けていたのでした。
幸い、他の方が間に入ってなんとかその場は収まりましたが、
あの時の、平然とした横顔は今でも忘れることができません。
昨日のお葬式には、ダンススタジオの教え子さんたちや、
縁のある方々が大勢参列していました。
教え子さんの中にはこの時期なのに東京からきた人も
いました。
式が始まるまでの間、最後の舞台となった三か月前のダンスの
映像がDVDで映し出されていて、久しぶりに本当に久しぶりに
お姿を見ることができました。
手足が長く、眼が底しれぬ鋭い光を放ち、ゆっくり静かに
踊る姿に、みんなで見入っていました。

『手の先、足の先、髪の先まで踊るのよ』。
お弟子さんの読んだ弔辞にあったその方の口癖が、
今さらながら思い出されました。
喪主の挨拶にありました。
「故人の好きな言葉に宮沢賢治の小説のなかにでてくる
『愛(え)どし おえどし』がありました」に
教え子たちを慈しむお心を改めて知りました。
「えどし おえどし」可愛い、なんて可愛いとでも
訳すのでしょうか。。。
享年83歳でした。

こちらの画像は、お葬式の帰り道で見つけた福寿草
やっとこの街にもこういう花が咲き始めました。
  

この間の「ムーラン・ルージュ」での一枚。
地震の前の、地震を知らない頃の時間がなんと
懐かしいことでしょう。
いつか、また、きっと、ね、、、。



がんばれと言うな無理だと言うな 風   玉

にらめっこしましょう少し無理をして   かなえ