「憂国忌」

今日も小春日和の一日でした。
外を歩くと、少し冷たい、どこか心地よささえ
覚える風がわずかに吹くぐらいで、この季節にしては
驚くほどに過ごしやすい日でした。
でも、この間まであれほど炎のように激しく
赤く色づいていたどうだんつつじがすっかり葉を
落とし、その細い枝をむきだしにしているのを見ると、
心細くなったりもします。
気象庁の三か月予報によると、この冬も暖冬らしいのですが、
それでも、冬は冬。
寒さや雪やアイスバーンに悩まされることになるでしょう。


今日は「憂国忌」。
昭和45年11月25日から、39年が経ちました。
私は三島由紀夫の作品の熱心な読者ではありませんし、
勉強も努力もしてこなかったので、
あれこれ言える立場ではないのですが、
一時期、ひとから勧められるままに何冊か読んだことはあります。
うんと若いころのことです。
若いせいだったのでしょう。
途中で挫折しました。
文体にも、内容にもどうしてもついていけませんでした。
それでも、五感はずい分刺激された記憶があります。
特に、視覚と触覚に強く感じました。
憂国」も読みましたが、主人公の志のありようよりも、
主人公とその若い妻との、結婚まもない夫婦の初々しい
そしてひりつくような交歓の描写に、強く惹きつけられました。
白と赤、そして雪の日特有の寒さだけが、
ずっとあとまで残りました。
あの、センセーショナルな事件にリアルタイムに
立ち会ったものとして、この日が来るたびに、
ちょっと身が引き締まる思いがするのです。


さざんかを散らして生きる切られ役   玉

動かない男の目玉憂国忌   かなえ